日本の戦後補償問題をめぐる一考察

濱本正彦(日本の戦後責任を清算するため行動する北海道の会事務局次長) 

     日本の戦後補償問題に対する日本政府の考え方は、戦後50年国会における 「村山首相談話」と、それを受けた「橋本首相によるお詫びの言葉」を添付した 「財団方式のアジア女性基金による償い金」、この二つの行為によってすべてが 完結した、ということに尽きていると思います。しかし、アジア女性基金の対応 は日本政府としての対応ではありませんし、かつ、元「従軍慰安婦」に限定的に 対応するものであり、元BC級戦犯の方々や強制連行・強制労働を強いられた 方々、また、元日本軍軍人・軍属の方々等々、他の分野の戦後補償については何 の補償も為されていません。さらにアジア女性基金は、韓国とフイリピンの各々 数名の方々等に受け入れられただけで、制度としては今や、実質的に崩壊してい ると見るべきです。つまりは、アジア・太平洋戦争における戦後補償問題につい て、日本政府は何ひとつ具体的行為を為していないということなのです。

   戦後補償というか、「日本の戦争責任・戦後責任」の問題に関しては、戦争被 害者たちの必死の訴えにもかかわらず、戦後の日本社会において大きく取り上げ られることはありませんでした。65年「日韓闘争」においても、私自身も学生 として参加し労働者と連帯して闘ったのですが、不思議と、「加害者としての日 本の責任」についての問題意識はなかったことを鮮明に記憶しています。

 私が至らないということは100%認めた上で、しかし、運動全体として、こ の問題を捉えることが出来なかったことは、戦後民主主義の根底的問題と深くか かわる問題であり、このことについては後で簡単に述べたいと思います。補足し ておきますが、元「従軍慰安婦」問題や元BC級戦犯の方々の問題は既に提起さ れていたにも関わらず、なのです。

   日本国内の裁判所に提訴された「戦後補償裁判」は、72年3月に福岡高裁に 提訴された「孫振斗手帳裁判」が初めてのものでありました。その後、「戦時郵 貯」「生命保険」「国庫債券」「軍票」等の支払いをめぐっての裁判が5件続き ました。

 その後、75年12月「サハリン残留者帰還請求訴訟」、77年8月「台湾人 元日本兵士戦死傷補償請求訴訟」が提訴されましたが、それぞれ、89年6月東 京地裁・取り下げ、92年4月最高裁で棄却、という結果に終わりました。特に 後者は、その後の本格的戦後補償訴訟の先駆け的役割を果たすものであったと思 われます。

   そしていよいよ、戦後補償裁判の時代を迎えます。それは、90年8月、東京 地裁に提訴した「サハリン残留韓国人補償請求訴訟」と同年10月、同じく東京 地裁に提訴した、日本の戦後責任をハッキリさせる会による、「韓国太平洋戦争 遺族会国家賠償請求訴訟」をひとつの契機としていたと言って良いでありましょ う。その後、様々な形での戦後補償裁判が展開され、今日に至っています。

 大きく類型化すると、「軍票等戦時有価証券に関するもの」「援護法関係・社 会保障法関係の国籍条項に関するもの」「戦時・植民地支配時の虐殺等に対する 事実の確認と謝罪・補償に関するもの」「軍が関与した企業の強制連行・強制労 働に関するもの」「元日本軍BC級戦犯に関するもの」「日本軍の強制徴兵・強 制徴用に関するもの」「シベリア、サハリン等抑留に関するもの」「元「従軍慰 安婦」に関するもの」「元俘虜に関するもの」「民間抑留者の損害賠償に関する もの」「七三一部隊関係」「毒ガス・砲弾等遺棄に関するもの」「被爆者に関す るもの」等があり、最近の99年9月1日に札幌地裁に提訴された「北海道中国 人強制連行訴訟」を含め、現在、66件にも上っています。

   戦後補償問題における現状を簡単に素描すると、一方には、立法措置を促す下 級審判決(例えば「下関判決」)に依拠する形で、「立法措置による解決」を目 指す運動があります。  その中で、一般法の制定を求める方法としては、「戦争被害調査会法を実現す る市民会議」の運動があります。戦争被害の真相究明・調査を目的とする調査会 設置法を求めています。もちろん、第二段階としての謝罪と補償を視野に入れて いることは言うまでもありません。共同代表の西川重則さん、西野留美子さんを 中心として、署名・カンパ等の活動に取り組んでいます。

 シングル・イッシューに特化したものとしては、元BC級戦犯の方々の救済を 目的とする、「日本の戦争責任を肩代わりさせられた韓国・朝鮮人BC級戦犯を 支える会」が99年12月13日に立ち上げた「韓国・朝鮮人BC級戦犯者の補 償立法をすすめる会」の運動があります。共同代表の今村嗣夫弁護士、内海愛子 さん、三木睦子さんを中心として、全国会議員に対してパンフレットを送るなど の活動を展開しています。

 運動体として、全般的な展開をして「世論形成」「運動のバックボーン的セン ター機能」を目的とする組織としては、「日本の戦争責任資料センター」が挙げ られます。季刊の資料誌兼運動誌を発行すると共に、講演会等様々なイベントも 行っています。

 また、元「従軍慰安婦」(後述の「VAWWーNET」などでは「日本軍の性 的奴隷」と表現します。この方が厳密に言えば正当なのですが、私たちは、一般 的呼称として流布した「従軍慰安婦」に「元」を付けて呼んでいます。)の問題 を扱っている包括的・総合的なものとして、00年12月に開催される「日本軍 性奴隷制を裁く 女性国際戦犯法廷」を主宰する「VAWWーNET」Japa n(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)があります。

   これに対し、シングル・イッシューの裁判闘争を闘っている市民運動体は全国 に数多くあります。代表的なものを紹介しておきます。

 まず、私たちが連携しているという意味からも、「在日の慰安婦裁判を支える 会」を挙げたいと思います。唯一の在日の元「従軍慰安婦」として裁判闘争を闘 っている「宋神道(ソン・シンド)」さんを支援する組織です。93年4月5 日、東京地裁に提訴された「在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求訴訟」を宋 神道(ソン・シンド)さんと共に闘い、宋神道(ソン・シンド)さんを支えてい る方々です。99年10月1日、請求棄却の一審判決を受け東京高裁に控訴、1 0月16日に結審し11月30日に判決が出ます。

 また、中国人戦争被害者を支える会は中国人関係を全体的に網羅した活動を展 開していますが、北海道においても99年9月1日、「中国人強制連行事件北海 道訴訟」が札幌地裁に提訴され、「中国人強制連行事件北海道訴訟を支える会」 が00年2月10日に結成され、この訴訟をしっかりと支えています。

 更に在日の関係では、在日韓国・朝鮮人の戦後補償実現と在日韓国・朝鮮人に 対する差別をなくするために活動している「在日の戦後補償を求める会」の活動 があります。東京と大阪に本拠を構え活動しています。

 在外被爆者の連帯の関係では、96年から「アメリカ・ブラジル・韓国・日 本」四カ国の被爆者が厚生省に「被爆者援護法の適用」を要請、その後も対日本 政府交渉を継続しています。支援団体として「在韓被爆者渡日治療広島委員会」 「韓国の原爆被爆者を救援する市民の会」などがあります。日本の裁判所では、 郭貴勲さんが大阪地裁で、李康寧さんが長崎地裁で、被爆者援護法適用を求めて 係争中です。  

 また、特徴的な判決を得たものとして、通称「関釜裁判」正確には「釜山「従 軍慰安婦」女子勤労挺身隊公式謝罪等請求事件」の「関釜裁判を支援する会」の 活動があります。この裁判は現在広島高裁において控訴審が闘われていますが、 一審の山口地裁下関支部には92年12月25日に提訴され98年4月27日に 一審判決が出されました。これが、いわゆる「下関判決」であり、元「従軍慰安 婦」関係では初の判決でありました。

 この判決は、日本政府の法的責任を明確に認め、(慰安婦問題を認めた後の期 間の)政府の立法不作為(賠償立法しないこと)に対して、元「従軍慰安婦」の 原告3人に対して各30万円の損害賠償を命じたものです。このことは、日本政 府に対し、「出来るだけ速やかに賠償立法を行うよう」命じたと同じ効果を持つ ものであったと言えます。しかし、日本政府は98年5月8日、広島高裁に控訴 し、まったく反省の色はありません。

 なお、元女子勤労挺身隊原告7人の請求はすべて一審却下のため、98年5月 1日、広島高裁に控訴し、こちらも係争中となっています。  

 戦後補償請求訴訟ではないが特徴的な運動として「松代大本営の保存をすすめ る会」が行っている「松代大本営の適切な保存と公開」があります。

 これは、大戦末期、長野市松代町の三山(象山、舞鶴山、皆神山)を中心に、 善光寺一帯に分散敷設された地下軍事施設群の呼称であります。「本土決戦」を 行い、「国体護持」を可能とする「和平条件」を勝ち取るべく画策した軍部の指 揮中枢センターとしてのシェルターとして、天皇を頂点としたすべての国家中枢 を収容できることを目指して計画されたものであります。この工事には多くの朝 鮮人労働者が強制動員され過酷な労働を強いられましたが、その実態は依然とし て明らかになっていません。

 「松代大本営の保存をすすめる会」の活動は、「地下壕の完全保存と適切な公 開をすすめることにより風化していく戦争遺跡を正しく次世代に伝える」とい う、積極的保存運動と言うことができましょう。

 現在は、「松代大本営平和祈念館建設実行委員会」による資料館づくりもすす められています。広島の原爆ドームと平和資料館のコンビに対応した、松代大本 営の戦争遺跡と資料館としての平和祈念館という形を目指しています。  

 以上、大まかに見てきましたが、ここで、私たち「日本の戦後責任を清算する ため行動する北海道の会(略称・行動する会)」の活動を簡単に紹介したいと思 います。

 私たちは、個別の裁判闘争を抱えてはおらず、様々な戦後補償裁判と連帯した 支援活動を行うなど、いわば「日本の戦争責任・戦後責任の清算を支持する国内 世論の形成」をその中心に据えて活動している市民運動体です。天皇誕生日や3 /1朝鮮独立運動記念日また8月15日などには追悼の集い、講演会、コンサー トなどのイベントを行い、南京大虐殺、関東大震災での朝鮮人大量虐殺、満州侵 略等々の歴史的記念日には街頭宣伝活動を行っています。個別の裁判闘争の中で は、「唯一の在日の元「従軍慰安婦」」として裁判闘争を闘っている宋神道(ソ ン・シンド)」さんに対するささやかな支援を行っています。 基本的には、 「戦後責任を清算したと言い得る日本社会の創造」を目指し闘っている団体とお 考えいただければと思います。

 なお、「戦後責任」という言葉の意味ですが、私たちとしては、戦後速やかに 解決されてしかるべき「日本の戦争責任」が解決されないまま時間が経過してお り、そのことによって、解決すべき「日本の戦争責任」が質量共に拡大再生産さ れていることになる。その増大した「日本の戦争責任」を純粋な意味での「戦争 責任」に対比して、敢えて「日本の戦後責任」と呼んでいるということで、ご理 解をいただきたいと思います。

 日本の戦後補償問題は、自民党による在日韓国・朝鮮人、台湾人、中国人など の旧植民地出身者の元軍人軍属に対する「補償措置」や地方参政権問題などの措 置によって、一見、未来志向のうねりの中に飲み込まれかねない展開となってい ます。裁判闘争における原告の高齢化が、これに拍車をかけている状況にもあり ます。

 しかし、最近の中国関係の訴訟の増大、日朝正常化交渉における朝鮮民主主義 人民共和国側からの「謝罪と補償」の原則的要求、アメリカにおける日本企業に 対する「賠償訴訟」の続発、国連人権小委員会における営々とした作業の積み上 げ、VAWWーNET(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)による「日 本軍性奴隷を裁く 女性国際戦犯法廷」等々、日本に対し「戦争責任・戦後責 任」を清算せよという国際的・政治的要求は、一層強まっているのです。 この ことを無視した日本外交には決して未来はないことをしっかりと見つめ、日本政 府に対し要求し続けたいと考えています。

 最後に戦後民主主義の問題との関連について簡単に述べておきたいと思いま す。

 日本の戦後民主主義は何故にかくも簡単についえ去ろうとしているのか。昨年 のメチャクチャ国会における暴挙を見て考えてしまいましたが、しかし、思い当 たる節がないわけでもありません。

 それは、1945年8月15日を境にして、それまで「天皇の忠良な臣民」で あり「軍国主義者」であった日本国民が、一夜にして「占領軍を歓迎する民主主 義者」に生まれ変わったことです。それまでの数々の加害の歴史をコロっと忘れ て、ヒロシマ・ナガサキの被害者意識ばかりが募り、「平和主義者そして戦後民 主主義者としての日本国民」が誕生しました。これが、そもそもの過ちの源だっ たのです。

 「日本の戦争責任」を明確に見つめ、苦しくとも、それを一刻も早く清算する ことに全力を注ぐべきだったのです。それが、共産主義者も社会主義者も国家主 義者までもが、そのことを忘れた「平和主義者」「戦後民主主義者」となってし まったところに、すべての過ちの源があったと考えるべきであります。

   この思考形態は、ドイツ型の「戦前のすべての悪事はナチスが行ったことであ り、ドイツ国民はフアッシズムの被害者である。ナチスの敗戦によってドイツ国 民は解放されたのだ。」という思考形態とは異なります。ドイツでは、末端のナ チス党の党員や活動家のみならずシンパ層までもが糾弾、処罰の対象となりまし た。そして、すべての戦争責任をナチスに押しつけ、戦後のドイツ国民の「無 罪」を証明しようとしたのです。戦前のナチスと戦後ドイツ国民との断絶です。 これはこれで問題なのですが、今はふれません。

   これに対し日本では、大政翼賛会などに迎合してほとんどの国民が戦争遂行に 熱中したにもかかわらず、東京裁判による戦犯などにすべての責任を押しつけて しまいました。

 一般国民はすべて、「善良な戦後民主主義の担い手」に変貌したのです。最大 の戦争責任の担い手・天皇ヒロヒトは何らの責任をとることはありませんでし た。大日本帝国憲法は、自らの中に規定する手続きによって「改正」され、「日 本国憲法」になりました。戦前と戦後は、連綿として継続しているわけです。  

 こうして「戦前と戦後の継続」に成功した「(象徴)天皇制民主主義国家・日 本」は、サンフランシスコ講和条約などの二国間条約による戦後処理によって、 アメリカの庇護の下に戦争責任を事実上免除されました。その後、アメリカにピ ッタリ寄り添った日本は、裏では朝鮮戦争やベトナム戦争などにも全面的に協力 しながら「血で染まった資本の高度蓄積」を強行し、奇跡と言われた高度経済成 長を成し遂げ、アメリカに次ぐ世界第二位の資本主義大国となったのです。

 私たち日本人は、アジア・太平洋戦争における戦争責任・加害者責任を明確に 認め、謝罪と補償をしなければなりません。さらに、朝鮮、台湾などの旧植民地 の住民に対する「支配することにより生じた加害責任」を明確に認め、謝罪と補 償を行わなければなりません。 当然にもこのことは、天皇を含めて貫徹する必 要があります。さらには、戦後展開してきたエコノミックアニマルとしての行為 を厳しく自己批判することが必要です。

 その上で、共存共栄・共生を図るべく、アジア諸国民との連帯と共生のための 外交政策を展開するとともに、民衆間の交流を進める必要があるのです。  

 自らの歴史的行為の清算もせず、アメリカに隷従して「エコノミックアニマ ル」「肥えた豚」の道をひたすら突き進んだ日本人(日本政府だけではありませ ん)。戦争責任を清算しないことにより日々拡大再生産される日本の戦後責任を 放置している日本人。このままでは、人間として誇り高い日本人・日本社会が再 生されることなど夢のまた夢でしかありません。自省することのなかった「戦後 民主主義」に未来はありません。   

 日本人は今こそ、戦前の天皇制日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配の歴史を 明確に反省し、法的に明確な謝罪と補償を行い、そのことによって日本人として の確かなアイデンテイテイを確立する中ではじめて、アジアをはじめとする他の 民族・国民に対して「対等・平等の共生関係」を確立することが出来るのです。 そのことを一度通過しなければ、日本人・日本社会の再生はあり得ないのではな いでしょうか。

 戦後55年を迎え、日本の戦争責任・戦後責任の風化が言われます。しかし、 そんな簡単な問題ではありません。日本の、従って私たち自身の未来を左右する 大変な問題であることをしっかりと自覚し、日本の戦争責任・戦後責任の清算の ために、共に考え、共に行動していただきますよう、心から訴えます。              (電話・Fax=011−854−8538)

 


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