竹村泰子の思い
(1999.11.01)

なにを恐れて立つのか

           竹村泰子(参議院議員・民主党)

 新ガイドライン(周辺事態方)、通信傍受法、国旗・国歌法、住民基本台帳法が次々と成立した145国会は、まさに歴史に名を残す国会となった。

 政府が、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法制化を発表したのは、小渕首相が「法制化は考えておりません」と国会で答弁してからわずか5日後であった。彼が知らなかったのか、背後で法制化の動きが密かに進んでいたのかは分らないが、いずれにしても57日間の延長が決まると殆ど同時である。ドサクサまぎれになんでもありというところか。

 国旗.国歌の審議の中で、政府側がくり返し言い続けたのは、「校長の自殺」といういたましい出来事があり、このようなことが再び起こらないため、ということであった。しかし、この出来事には前段があったのであり、決して突如として起きたことではない。ヒロシマは当然のこととして「平和  教育」と「人権教育」が進んでいた地域であり、日の丸・君が代がアジア侵略の旗印、また、天皇賛歌の役割を果たしていたこと、憲法の国民主権との矛盾があることから、決して強要すべきではないとする合意が県教委と教職員組合との間 で協定という形でなされていた。このことは、全国的に「掲揚・斉唱」の完全実施を求めて来た文部省にとっては当然目ざわりであり、学習指導要領に反する札つきの県であったと思われる。

 亡くなった広島県立世羅高校の石川敏浩校長には、その日の朝、県教委の職員が自宅を訪れ、追って県教委の幹部が説得に来るという予告をして帰ったあとのことであった。そうした協定を破った側からの一連の「強制」があったからこそ、板ばさみになり、苦悩の果ての行為であったのである。

では法制化すればこうしたことは起こらないと言えるのか。もちろんあってはならないことだが、法律になったからとて全てうまく治まるという訳ではないと私は思う。ごく最近の例だけでも、すでに法制化の前から、秋田市では市体育協会の会長が、中学生たちの体育大会で日の丸掲揚、君が代斉唱のとき座っていた人は出て行ってもらいたい、と言っているし、東京では君が代の伴奏が出来なかった女性教員が処分を受けている。広島市では、市長が就任式で登降壇の際、日の丸に一礼しなかったことが非礼だと、市議会で問題になったりしている。

 なぜ入学式、卒業式に特定して「国家」がのさばり出て来るのだろうか。参議院国旗・国歌特別委員会(8月2日)での私の質問に対しても、1年に1回か2回の良い機会であるから、と言う以外に答えていない。各都道府県、あるいは市町村の教育委員会が、法制化を後ろ盾に独自の判断で、学校現場に校長を通じて圧力をかけてくることは充分に考えられる。質問の最後に私は、野中官房長官と、有馬文部大臣に対して確認的な質問をしている。

 それは、「将来にも、この法律に尊重規定や義務規定をつけることはないか」と、「教職員や児童・生徒たちに対して、思想・信教の自由や、内心の自由を奪い、強制することはないか」の2点であった。2人とも答えは「そのようなことは全くない。強制するものでは決してない」であった。

「国家」とは、「国の形」とはなんだろうか。20代の若者たちにも反対が多かったときくが、では反対の彼等はどういうものなら良いと考えるのだろうか。答えはまだ見えない。戦後54年経ても国会で正式に議論することも出来なかったものが、ここへ来てにわかに提案され、審議されようとしていることが分ってから、私がずっと考え続けてきたことは、私たちがどんな形でどこに立つか、ということだった。平たく言えば、どう生きるか、なのかも知れないが――。

 日の丸・君が代が大好きで、実にすばらしいと言う人、特に日の丸はオリンピックでもみんながあんなに振りかざしているからもうすっかり定着しているのだという人々もいるし、また反対にあの大平洋戦争の時にアジアの国々を土足で踏みにじり、凌辱の限りを尽くしたことを、アジアの人々は決して真底許している訳ではない。だからどう考えても国旗・国歌と法律で決めることに反対、という人々も少なからずいる。アジアの国々の近代史を読めばすぐ分かることである。私はそのどちら側も強制されてはならない「内面的な自由」であると考える。憲法19条・20条に保障された、思想・信条・信教の自由は、何人も、たとえ国家といえども侵してはならないものであると思う。(が、これはあくまでも我が国の場合であり、各国の国歌・国旗の成立の過程も歴史も違うから一概には言えない。)

 あの戦争中、国家神道を強要され、キリスト教会では、日曜毎の礼拝の始めにさえ宮城を遥拝させられた。神以外の何者をも礼拝してはならないという聖書の契約に忠実であった純粋な教派の牧師や信徒たちは、弾圧を受け、捕えられ、拷問を受け、殺されたりした。他の多くの教派はやむなく戦争に加担し、敵を憎み必勝を祈る、という大きな過ちを犯したのである。そして、そのかげで2000万人近いアジアの人々を殺害した。

 日本キリスト教団は、1960年代に「戦争責任の告白」をしている。ひとりのキリスト者としても私はこの国旗・国歌法案を通過・成立させる訳にはいかなかった。

この政治状況の中で、私たち政治に携わる者が、このことに限らず、どこに、どのように、なにを恐れず、なにを恐れて立つのかが問われていると思えてならない。

緊急増刊「世界」から
(ストップ!自自公暴走 日本の民主主義の再生のために 1999年11月1日発行)
 

 
 
 

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